運命ってのは残酷なくせに、本当にこの世に存在するかどうかも定かじゃなくて



それでもまた明日



 ひとしきり一方的に話し始めて、夜になれば勝手に俺の家に上がりこみ、
差し出された茶を遠慮なく啜り、主の許可なく果物を何個か食いながら話を続け、
満足したかと思えばさらりと一言礼を済ませて何処かへ走り去ってしまう。
「親しい中にも礼儀あり」という言葉など微塵も感じられぬ、
失礼極まりない自由人が彼、であった。
 しかし、今日といえば、どうだ。
 夕方訪れた彼は、少し違和感ある沈黙を交えながら話し(そして時々俺の顔色を伺って来るのだ)、
もう真っ暗になったというのに、いつもの調子は何処へやら、
「邪魔したな」と言って立ち去ろうとするのだ。
 しかし彼は客人、そしてわざわざこの空に浮かぶエンジェルアイランドを訪れてくれたのだ。
不本意だが、彼と違って「親しい中にも礼儀あり」という言葉を知っている俺は、彼を家に招かざるを得ないだろう。
そういう事にしておく。
 だから、俺は彼に家に来ないかと言った。
夜を身に纏った外は、すっかり冷えきっていた。
俺もそろそろ体を暖めたかったし、冷風が吹き付ける彼の体も震えを覚えるほど凍えているはずだ。
 しかし、彼は曖昧な微笑みを見せて首を振った。

「今日は、いい。ちょっと話したかっただけだし」
「なんだよ」彼の言葉の小さな引っ掛かりが気になった。「いつもは断っても強行突破してくるのに、今更遠慮か」
「遠慮させろよ、たまにはさ」

 遠慮するのに許しを貰うこのやりとりが何やら可笑い気がしたが、そこはあえて突っ込まないことにする。
 それよりも、気になるのは。

「……やっぱり寒いんじゃないのか?」

 What?、と彼は意外そうに目を見開いた。
彼自身、恐らく無意識・無自覚なのだろう、
笑う先ほどの顔の眉間には少しだけ皺が寄っていたのだ。
それが寒さからではないのは、もう分かっている。
しかしそう問い掛けたのは、彼を思ってこその事だ。

「心配してくれてんのか?」

 彼は冗談混じりに言った。
体はぴんぴんだぜ、というように肩をすくめて両手を半分上げた彼の顔には、
微笑みと、少しだけ苦みが残っていた。
 やはり今日のソニックはどこか、変だ。

「まさか」しかし、俺にもプライドがある。「でもお前が風邪を引いたりしたら、エミーが黙っちゃいないだろ。
 原因の矛先を俺に向けられちゃたまんねェ」
「確かにエミーは怖いな」と、彼は笑う。「Don't worry,though.オレのしぶとさは知ってるだろ?」

 まあな、と俺は生返事をした。返事よりも行動の方に気を傾けたかったからだ。
 俺は進み出て、彼の腕を掴んだ。
彼は一瞬驚いた顔をして、それから「なんだよ」と言った。
少し不機嫌そうに放った言葉と同時に、鋭い眼がこちらに向けられる。
しかし、腕の力なら俺の方が上だ。俺の手から逃げられるはずも無い。
少し脅迫に近いが、そうでもしなければ、彼は崩れるまで平生を装うだろう。
彼はそういう男だ。

「少し休んでいけよ」

 睨み返して掛けたこの言葉に嘘はない。



 俺の気迫に負けたか、彼は俺に連れて行かれるまま、そして嫌々俺の家に上がった。
ひんやりと冷めた廊下を通って、居間に入る。
この空に浮かぶ島には灯油も電気もないので、居間と言えど煖炉の周辺以外は少しいつも肌寒い。
だから、彼がテイルスから親切にも頂いたコタツに潜り(といっても電気がないので温まらないが)、
俺が煖炉前の椅子に腰掛ける、というのが常だった。
 彼は怠そうにコタツに入ると、未だ不機嫌な顔でコタツの天板に突っ伏した。
そんな彼を横目に、俺は今日収穫してきた果物を突っ伏す彼の前に差し出した。
新鮮でみずみずしい果物の香りに気が付いて、彼が顔を上げる。

「オマエがブドウを出すなんて珍しいじゃないか」

 籠の中に入った大きい実を付けたそれを見て、彼は不機嫌を半分余所に置いて言った。
ブドウは俺の好物なので、彼の為に出す事は滅多にないのだ。
「今日は特別だ」と言って、俺は次に彼に飲み物を差し出す。

「ジュース?水じゃないのか」
「今日は無理矢理連れて来たからな」煖炉の火加減を見ながら、不機嫌を全部余所に放り出した彼に返した。
「それぐらいもてなさないと、お前の機嫌も直らないだろ」

 モノで釣られるオレじゃないぜ、と彼がムッとして呟いた。
と言いつつも、その手はちゃっかりブドウを取っている。
貰う物は貰っておく、遠慮ない彼らしさに少し安心した。
 汚れるといけないので、手袋を脱いで、素手で彼はブドウを食べた。終始無言、彼は食事中全く言を口にしなかった。
余所にやった不機嫌が戻ったのか、否、恐らく食事に夢中になっているのだろう。
この島の果物の味が何にも劣らないほどであることは、俺も知っている。
 ブドウを食べ終わって、飲み物を口にした時、漸く彼の表情に変化があった。

「このジュース、ここのブドウからとったのか?」
「ああ、どうかしたか?」
「ほら、新鮮な果物からとった物って、果物の渋味があるだろ?これ、少し苦みがあるなと思ってさ」

 コップを揺らし、ゆらゆら踊るジュースの水面を見つめながら、
彼が不思議そうに「ちょっと喉が熱くなる感じもするけど、美味い」と言った。
「特産だからな」「確かに、そうそう採れないよなァ」、まじまじと彼はそれを見て、半分意識無い返事をした。


 どうやら、そのジュースの中に酒が入っていることは気付かれなかったようだ。



「オレ、ここの水も好きだぜ」

 頬杖をついて、火の世話を終えた俺に話しかけた。

「味が澄んでるんだよな、オレ色んなトコで水飲んだけど、ここより美味い水は無かったぜ」
「ここは他からの干渉がないからな。汚染の心配だってないし」
「唯一の汚染の心配って言ったら、オマエしかいないからな」
「そうだな………て、今何て言ったお前」

 極々普通に言い放たれた発言に、オレは思わず突っ込んだ。
見ると、彼が不敵な笑みでこちらを見上げている。
彼の、やっと戻って来たいつもの調子に、安堵するような、腹立つような憎いような。
しかし、不思議といつも、このようなやりとりに悪い気はしない。

「オレ、この家自体結構好き」

 彼は三、四口ほどぐいとジュースを飲んで、ちょっと寒いけど、と付け足し言う。
人ん家に文句つけんなよ、と俺が尖った呟きを吐くと、彼は不意に微笑んだ。

「逆にこれがいいんだよ。限定された暖かいトコに居れる、安心感?
 なんか落ち着くんだよな」

 先ほどまでの不機嫌は何処に行ったのか、彼は上機嫌な顔でそう言って、
頬杖を倒しその両腕を今度は顎置きにした。
いつも憎まれ口を叩く彼が、俺の家をべた褒めするとは、これがアルコールの効果か。
濃度は分からないが、ルージュが気紛れでくれた物だったから、
もしかしたらとてつもなくドキツい酒だったかもしれない。
しかし、今更それを取り上げる訳にもいかぬ。
 そんな事を考えながら煖炉前の椅子に腰掛けた時、彼がふと目を細めた。


「ナックルズ」

 しっかり名を呼んでから、

「気付いてたんだな」

 そのアルコールで潤んだ目で、俺を見た。

「……気付かないワケねェ」

 呟き声で、返した。


 ソニックは紫色の水を通して、煖炉の火を見つめた。
パチ、枝が弾ける。
炎はゆらゆら揺れて、その度に俺達の影も形を変えた。
部屋は淡い橙に染まっていた。
煖炉の主が与えるその色は、部屋の色彩を画一化して、彼の眩い青さえも塗り変えられたみたいだった。
 枝が跳ねる音と共に、「なあ」と呼ぶ彼の声が入った。

「運命って、あると思うか?」

 ジュース、否酒を一口飲んで、彼は急にそんなことを聞いた。
彼から質問しておいて、まるでその質問に興味なんかないみたいに、
彼はコップの端を持って、ゆらゆらと中の水を揺らしていた。
その眼の奥に、何が映っているのかは、俺は知らない。

「ああ、もしかしたらな」だから俺は少々考えて、答えた。
「俺がこうやってマスターエメラルド守ってるのも、運命かもしれない」
「オマエは、それを運命として、受け止められるのか」
「ああ。これは俺の使命でもある」
「それがもし、」

 彼が手を止める。

「……大切な何かを失う原因になっても?」


 パチン、と大きく枝が弾ぜた。


 確かに、マスターエメラルドの守護は時に危険を招く。
それ自身に莫大な能力が秘められている故に、それを狙う奴も少なからずいるのも事実だ。
それのその能力で世界を救った事もあるが、逆に世界を危機に陥れた事だってあった。
その能力の犠牲になるものも、いた。
決して、安全ではない仕事。

 この仕事を、使命を果たし、運命に従う事で、失うものも、きっとこの先。

「……俺は精一杯やってきた。そしてこれからも。
 例え大切なものを失っても、俺は俺の出来る事をする」
「それで本当に失っても、それでもオマエは、その運命を受け入れられるのか」

「……」


 言葉が、続かなかった。
 そう思うことなんて出来ないだろう、と思った。
 大切なものを失う痛みは、傷は、悲しみは、俺の想像を遥かに越えるだろう。
その中で、その運命を受け入れられるなんて、無理だ。
出来ると答えたなら、それはただの理想だ。逃避だ。虚言だ。
 きっと、そんなに簡単じゃない。

「ああ、そうだ」

 それでも、この先に居るであろう『その時』の自分は、
 その愚かな虚言を、実現するはずがない理想を、真として認め、逃避するしかないのだろう。

「運命というものがあるなら、受け入れて、生きてくしか、ないだろう」

 そして、そうしなければ、少なくとも俺は生きていけない。




「……ヘンなこと言わせるなよ」

 咳払いして、俺は思わず視線を泳がせた。
ふと自分を客観視した途端恥ずかしさと気まずさが混じりあって、顔が熱くなった気がしたが、
誤魔化す術が分からない。
ライバルにこんな事を話すなんて、俺も彼のジュースから蒸発したアルコールに酔わされたか。
どうせなら笑い飛ばして欲しい…、ちらりと彼を盗み見た。

「……ソニック?」


 彼は、彼自身の両腕に乗せた顔をむこうに向けていた。
表情が見えない。
だが、笑っているのではないことは、分かる。
彼の明らかにおかしい様子に、俺の頬の熱が冷めた。だが、俺の心臓は妙に強く拍動している。
理由は分からないが、俺は焦燥していた。
どうにか落ち着きを取り戻そうとして、活性化した交感神経が、俺に口を滑らせた。

「お前には力があるだろ。十分強いし、カオスエメラルドを使える能力だってある。
 英雄と謳われたお前なら、もしかしたら運命を変える力だって…」



 ――― ダン!!!

「オレは英雄なんかじゃない!!!」


 中に注がれたジュースが、数滴天板に零れた。
割れんばかりにコップを天板に叩き付けた彼が、喉が張り裂けるほどの声で叫んだのだった。
 俺は驚きを隠し切れなかった。
冗談を言って笑う、いつもの彼とは掛け離れた、悲愴に駆られた声だった。
酒が入っているにしては、強い意志の通った声だった。
抱えていたものが、一気に溢れ出たみたいだった。

 俺は今、どんな顔をしているのだろうか。
多分、彼はそんな事も考えられないくらい、感情の渦中にいるのだろう。彼はきっと知らない。
 ――― 自分が、泣きそうな顔をしていることを。

「...Sorry」

 先ほどとは一変、その声はか細かった。
脱力するようにコップを握った手を放して、彼は両腕に顔を埋めた。

「なんか、あつい。酒でも飲んだみたいだ。かぜでも引いたのかねェ、
 ……オレ、なにやってんだろうな」

 そう彼は独り言のように呟いた。
 両腕の中で少しもぞもぞと動いて、そして彼は両腕に頭を預けると、静止した。
彼の丸まった背中は、彼が呼吸する度に柔らかく動いた。

 ふと、彼が、小さく見えた。



「ナッコウズ」



 その声は、泣き疲れた幼子のようだった。




 そのまま、彼は眠った。

 きっと、彼は救いを求めていた。
 彼は、世間の目とかプライドとか、きっと何か彼の大事なものが、彼の全てを邪魔して、
懇願の手を、誰に向ける事も出来なかったのだ。
けれど、抱える荷物があまりにも重すぎて、だから、俺の所に来たのだ。
荷物を預けられなくてもいい、ただ、その重さを忘れるだけで、彼は良かったのだ。

 それなのに、俺は、何をしているんだ。


 彼なら、何でも出来るように思えた。
俺が出来ない事も、誰にも出来るはずの無い事も、彼なら出来るような気がした。
その荷を背負うことも。あるかも分からない運命を背負うことも。
彼の強さが、優しさが、笑顔が、彼の苦しみを、悲しみを、痛みを、曇らせていた。

 彼は、神でも、英雄でもない。紛れも無く、一人の、ただの針鼠なのだ。


「……すまない」


 俺は掛け布団を、彼の、静かに上下する背中にかけた。
微かに、彼の寝息が聞こえる。
彼は寝ている。
その瞼の奥で、一体どんな世界を見ているのか、俺は知らない。
それは、俺の想像を遥かに越えるものなのだろう。
いや、それはきっと、俺が想像し得ないぐらい、大きな。

「ずっとお前は苦しみ続けた。俺が、俺達が知らない所で、お前は苦しみ続けた。
 存在するかも分からない、辛い運命を受け入れるのに、お前はたった一人で。
 やっと頼ってくれたのに、俺は気が付かなかった。俺は…」

 免罪の葉。聞こえるはずの無い言。幻想の世界、夢の世界には、決して届きやしない。
 それでもいい。
 これが、今の俺に出来ることなら。

「…もう、いいだろ。お前は十分苦しんで来たはずだ。
 運命なんて、あったってなくたっていい。
 もう、いい。もういいんだ」


 例え、この言葉が彼の今居る泡沫の世界に入りこむ事が出来たとして、現実にとっての靄と形を変えてしまっても。



「俺はずっとここにいる。ずっとお前の帰りを待っている。ずっとお前を待って居るから。
 その時は、今度こそ、今度こそは、」


 お前の苦しみを知った今、その懇願の手を、今度こそ放しはしないから。



「また、帰ってこい。」



 きっと、この言葉も、雨日の一露と同じ。
 けれど、俺にはこうするしか、他に術が無かったのだった。

 

 

 

*



 ふと気が付いた時には、目の前に墓石があった。
アイツの墓石は、まだ立てていない。
しかし、これを見た時、いやそれ以前に、この石の主が誰なのか、オレは知っていた。
このオレの両手が、最期を与えた人物。
正確に言えば、彼は機械だ。でもただの機械じゃない。オレにとっては、兄弟のような、息子のような存在で、そして大切な親友だった。

 周りは白く霞んでいた。
墓石の近くは少し色がのせてあって、その色は、褪せた緑をしていた。
それはずっと遠くまで続く草原なのだと、オレは思っていた。
理由はない。
しかし、直感とも程遠い。
そういう世界なのだと、オレがここに存在する前から知ってたみたいに。

 ああ、そうか。そういう世界なんだ、ここは。

 現実とは相反する世界。理想を叶えられる世界。
しかし、その理想は来たる時間によって崩される。
現実とは相容れない世界。幻想の世界。雨日の一露と同じ、泡沫の世界。


「ソニック」

 と、彼が呼んだ。早速、理想は叶えられる。
しかし、それは、雪像の理想。

「ソニック」

 オレが気付いていないんだと思ったのか、彼は再びオレの名を呼んだ。
いつもと変わらない口調、いつもと変わらない音だった。
人間みたいに流暢じゃない、人工の音声。
しかし、人間と同じように心の持った。

 些細な一つの瞬きをすると、その瞬間に彼が空間に色をのせて、静かにオレの前に現れた。
子供のように小さな彼。
人によって造られて、人の勝手でその命を壊された、哀れな機械。

 そして、彼を手に掛けたそのひとが、オレ。


「……何で、」

 どうせ崩れる理想なら、どうせオレが作った、直ぐに無くなる世界なら、
最初から無い方がずっと、ずっと楽なのに。
 どうして、彼の理想や希望を潰したこのオレが、最後の最後、その最後まで、理想を、希望を抱いてしまうのだろう。

「会いたかった。会いたかったんだ」

 優しい音を、彼が出す。耳を塞ぎたくなるぐらい、優しい。
彼の口調は、オレにそっくりだった。
けれど、このオレでさえ、機械である彼よりこんなに優しい音は出せないことだろう。
オレならきっと、相手の胸倉を引っ掴んで、その音で脳天をぶっ潰してやるのに。

「どうして、そんなに…。どうしてそんなに変わらずに…。」

 喉が閉まって、上手く声が出ない。
胸が苦しくて、彼の顔を見る事が出来ない。
元より、彼には表情なんて無い。けれど、オレは彼を見るのが怖かった。
幸せだと言って目の光を失った、あの時と同じ笑顔を。

「『優しい』を、ソニックが教えてくれた」
「オレを、憎まないのか」
「?」

 ああ、コイツは、『憎む』を知らないのか。
 優しさや楽しさ、嬉しさ、時々悲しさ、全て引っ括めたその幸せの中で生きていた彼が、『憎む』を知っているはずがなかった。
 彼は、何よりも、誰よりも純粋無垢だった。後悔もなければ、絶望もなかった。
けれど、理想や希望はあったはずだったんだ。
 それを、オレが奪った。

「なあ、オレは、オマエを殺したんだ。
 分かるか?オマエは、もう生きる事が出来ない。
 オレのせいで。なあ、オマエは怒らないのか?」

 『怒り』ぐらいなら、彼でも知っているはずと、オレはわざと彼の怒りを誘った。
オレは願っていた。
いっそ、オレを憎んでほしかった。オレに怒りをぶつけてほしかった。
そうじゃなきゃ、彼があまりにも。
あまりにも、哀れだ。

「どうして?

 オレは、ソニックが好きだぜ。」



 それは、あまりに清澄な声で。
 なんて、純粋なひとなのだろうか。なんて、汚れを知らないひとなのだろうか。
 憎しみを教えなかったのは、オレだ。オレたちだ。
優しさを教えたのはオレたちで、悲しみを教えたのはオレたちで、きっとオレもその中の一人だった。
そんな風に、彼に教えてきた。
砂浜に一つ転がっていた彼を拾って、何も知らない赤ん坊みたいな彼を、オレたちで、大切に育ててきて。
 それなのに、最後の最後、最期が終わったこの時に、その彼に『憎む』を教えようとするなんて。

「……エ…、メル……」


 ……哀れなのは、オレだ。



「ごめんな。ああするしかなかったんだ、でも、その運命を、オレにはどうしても。
 あの時、もっと、何か、出来ていたんじゃないか、って…。
 酷いよな、オマエは実際に死んで、るのに、オレには、どうして、も、うけ、いれ、」

 遂に、声が出なくなってしまった。
オレには、まだ彼を見る事が出来ない。
だから、どうしてもオレは声帯を震わせて、伝えなきゃいけなかった。


「…、……、オマエは、もう、オレにも、テイルスにも、ナッコウズにも、
 エミーにもクリームにもルージュにもシャドウにも、
 みんなには、もう、あえないんだ」


「どうして?」



 彼が聞いた。びりと心臓から肩に衝撃が走った気がした。
コイツは、そうか、『死』すらも…。

 彼の無垢さがあまりに衝撃的で、オレは思わず顔を上げた。
彼が、墓石の前にすっと立っていた。
風のように吹き抜けそうな、何処かへ消えていきそうなくらい、彼は儚く澄透だった。
草原はクレヨンか色鉛筆で塗られたような淡い黄緑に彩られて、それの風景はまるで幼児が見る絵本の一ページのようだった。
その彼も例外じゃない。
ああ、そういう世界なんだ、オレは再び悟った。
 そんな彼に免罪を請うなんて、きっと無意味だ。
現実に戻った途端、恐らく全てが無に帰す。
でも、オレにはそうするしか、他に術が無かったのだった。

 オレは繰り返し謝罪をした。
ごめん、ごめんな―――
これが、自己満足に過ぎないことは知っていた。
運命を受け入れられない代わりの、謝罪。彼の死を認められない代わりの、謝罪。
決して、許される訳がない。
けれど、オレは繰り返し謝罪した。
彼の恐ろしいほど真っ白な未来を奪った罪は、オレにはあまりにも重すぎた。

「どうして?」

 彼が再び聞いた。
オレは、それがオレの謝罪に対する質問なのだと思った。
オレは希望を失った。
言を閉じた。
彼にこの言葉の意味が分からないなら、オレは一生…、


「オレはここにいるよ。」


 え?、吐息と共にオレは呟いた。
相手の言葉を分かっていなかったのは、どうやらオレの方らしかった。
その言葉の意味を聞こうとして、言い掛けた刹那、ふと思考が横切った。
『ここ』―――、そうか、墓石の事を言っているのか。

「……ご、」

 そうだとしたら、なんて、彼は。



「オレは、ずっとここにいるよ。
 ソニックたちの中にいる。
 ソニックたちも、オレの中にいるよ。」


 謝の葉を、オレは渡し掛けて、止まった。耳を疑った。

「みんなとあえる。いつでも。ずっとここにいるよ。オレはずっとここにいるよ。」


 全部全部、知らなかったのは、オレの方だった。


 そう、彼は、『死』を理解していた。
何も知らなかったはずの彼が、それどころか、全てを受け入れて、
その意味すらもしっかりと捉えていたのだ。

「もう、いい。もう、いいんだ。」

 彼は、確かに儚く今にも消えそうだった。
しかし、強くその足で立っていた。
そして、その造られた声帯で、自分だけの言葉を、彼はオレに発していた。
この世界で何よりもはっきりとして、明瞭で、星みたいに眩しかった。


「エメル……」

 その言葉は、あまりに眩しすぎて。
オレには、触れていいのか分からなかった。


 ああ、オマエは、オレが見ない間に、こんなに成長していたのか。
何処か知らない所で、造られたオマエが、造られた能力で色々な世界を取り込んで、
そして最期には、オマエは自分だけの生を獲得していたなんて。
 オマエより、オレの方がずっとずっと、全部全部、何もかも知らなかったんだ。



「もう、かえりなよ」

 と、彼が言った。表情のないはずの彼が、あの時と同じように、幸せそうに笑っていた。
 世界は無くなりつつあった。色は褪せて、蒸発していくのが分かった。
草は煙のような空気に姿を変えて、空とも分からない空へと立ち上ぼって消えていく。


「さあ、おかえり。おかえりよ。」


 彼が繰り返し言う。反射に反射を重ねた音のように、急に彼の声は ぼやけはじめた。
彼の体も、色は徒に混じりあい、靄になって消えつつあった。
 突然、オレの手が、何かに握られた。
手袋の甲にはトゲが二本、見覚えのある大きな手だった。
その手の主は、腕までで、それから先は白い靄がかかって見えない。
姿の見えない手の主は、ぎゅっと力を込めてオレの手を握った。
生々しく、鮮明な感触が、オレの意識に蘇った。

 来たる時が、来たのだ。


 現実とは相反する世界。理想を叶えられる世界。
しかし、その理想は来たる時間によって崩される。
現実とは相容れない世界。幻想の世界。雨日の一露と同じ、泡沫の世界。

 これがただの理想だということは、百も承知で、
これが自ら作った世界なのだという事も、知りすぎたぐらいに知っている。

 けれど、彼が、許してくれるなら。
 少しだけ、少しだけでも、理想に頼っていいのだろうか。


「……さよなら」


 オレは、手を振れなかった。代わりに、彼の最期を見つめた。
 それは、虚空の最期。
 でも、絶対に、本当の世界で、全てを受け入れるから。


「さよなら」




 彼は、ずっと繰り返していた。
何度も、何度も。
この世界が色を無くして消えるまで、ずっと、ずっと、
繰り返し、繰り返し、
オレに笑いかけて、言の葉を送り続けていた。


「オレはずっとここにいる。だから、おかえり。おかえりよ。」






*






 彼が何やらぼそぼそと呟いた言葉で、俺は起きた。
彼の体を包み込むように彼の肩に手を回し彼の傍らに座っていた俺は、彼が起きたのかと思い、彼の様子を観察した。
彼は呻き声のような声を吐いて、俺の腕の中で少しもぞもぞと動く。
暫く静止して、ふと彼は顔を上げ、こちらを見た。

「…ナッコウズ」

 寝起きにしては、意識がはっきりした声だった。
あまり良く眠れなかったのだろうか。
彼の頬には一筋濡れた跡があったが、それを言及することはしなかった。

「具合はどうだ。よく眠れたか?」

 俺はそう聞くが、彼から返っていたのは二割の生返事と八割の沈黙だった。
それから、彼は「頭が痛い」と呟き、「ホントに風邪引いたかな」と続けた。
それは二日酔いだ。…とは勿論言えず、俺は気まずく沈黙だけ返した。
しかし、確かにコタツに掛け布団だけは、この季節にしては少し軽装備かもしれない。
このままでは本当に風邪を引いてしまうかもしれぬ。

「ベッドで寝た方がいいと思うぞ。俺は使わないし、そっちの方が休まるだろ」
「ナッコウズ」

 立ち上がろうとして、刹那、彼の声にオレは体を動かすのをやめた。
今は、何よりも彼が第一だ。
今だけは、彼を守ってやりたい。
それが今、俺に唯一出来ることだから。

「どうした?」
「ナッコウズ」再度、彼が俺を呼んだ。「……少しだけ、ここにいてくれ」

 彼が、両腕に顔を埋めて、呟くように言った。
彼が何か言い掛けたような気がしたが、俺は問い詰めることはせず彼の言うとうりにした。
 彼の呼吸は震えていた。
彼が息を吸ったり吐いたりする度に、背中と肩が震えて、俺はそれを俺の腕と手で感じていた。
少しだけ、抱き締めるようにした。
彼の震えは止まらない。

 不意に、彼が音を浮かせた。

「……オレは、」
「ああ」
「もう、いいんだろうか」


「ああ。もう、いい」


 何がとは、聞かない。
 俺には何もかも分からないけれど、
 けれど、今なら分かる。

「今は、寝るんだ。何もかも、明日に預けて、今だけは。
 俺が、許してやるから」



 ナッコウズ、と、彼は顔を上げて、俺を見つめた。
強い黄緑色の瞳が、ゆらゆら揺れていた。


―――



 彼は幼い子のように泣き叫び、そして泣き疲れて眠った。
俺は彼の悲痛の叫びも、こぼれ落ちる涙も全て掬い上げて、ただ彼の背を撫で続けた。

 その後、俺は彼をベッドに寝かせた。
その瞳で、今度はどんな夢を見るだろう。眠る彼の表情からは伺い知れない。
 そう、語らなければ、何もかも伺い知れない。
語っても、伺い知れない事は、数え切れないほどある。
そういう世界なのだ、ここは。
 だから、彼がそういう伺い知れない物に地図を奪われ、道が見えなくなった時、
俺がたった一時でも、道標を、奪われた地図への道標を作れたら、と思った。

 彼が、俺たちにそうしてきたように。


「なあ、ソニック。だから、」



 迷った時は、帰ってきてもいいのだ、と。




 もう少しだけ、コイツの守りをさせてくれよ。
 明け空に優しく大地の光を向けているマスターエメラルドへ、窓から俺はそっと呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

   11 09 26 Mon.